Squid / Cowards(2025)

新譜

夢の世界を描いたようなアルバムだ、と言ったら語弊があるだろうか。
もちろんSquidの音楽性をご存じならば、ドリームポップのようなものではないことはすぐにお判りいただけると思う。当然ディズニーランドのようなファンタジックできらびやかな夢ではない。どちらかといえば悪夢だが、一般的に悪夢と言って想像するホラー映画のような世界でもない。つげ義春の『ねじ式』のような「変な夢」に近い世界といった方が良いかもしれないが、あそこまで強烈にシュールレアリスムでもない。そこには青い空があり、街があり、自然があり、私たちの平凡な生活があるのだが、知っているのに知らない人や場所、なぜかものすごく不安になることがあるがその理由を忘れているもどかしい状態。そんな現実によく似てはいるが何かが決定的に違っている奇妙な夢の世界という意味である。

Squidは1stアルバムからコンスタントに2年間隔で作品をリリースし続けていて順調なキャリアを歩んでいるように感じる。チャートアクションが振るわなくなっているのが少し心配であるが、アーティスティックな方向に音楽性を進化させ続けているので仕方ないし、その辺はバンドもレーベルも織り込み済みか。今作も前作『O Monolith』からはだいぶ作風が変わったような印象だが、レコーディングされたのは意外にも前作『O Monolith』のリリース前とのことで、『O Monolith』と連続的に制作された作品のようだ。この活発な創造性には感服する。

冒頭この作品を「奇妙な夢の世界」と評したが、リードシングルである「Crispy Skin」から、現実によく似た奇妙な夢から目が覚めた、と思ったら、現実によく似た夢のような違和感のある現実がそこにあった、みたいな感じの、悪夢と現実の境目が溶けたリアリティの無いリアル、無限回廊の漂流感をよく表した曲になっている。不気味なサウンドエフェクトと美しい楽器の音色が交錯しながら、朝の目覚めのような気怠い爽やかさを伴った浮遊感が心地よい。満員電車から見上げる爽やかな朝の光と青空を、自分の憂鬱な心とは連関しない噓っぽいものとして呆然と眺めつつ「これはまだ夢の中なのでは?」と疑う遊離感にもよく似ている。極悪なベースと位相のズレたようなノイズがのたうちまわり、バグでチラつくデジタル映像のような奇妙なギターや電子音のなかで、これまた調子はずれの鼻歌のようなメロディと、冒頭の「クロマニヨン人は直方体人間」というシュールな歌い出しが最高な「Cro-Magnon Man」や、神秘的なギターのアルペジオとしっとりしたアコギとブラスの音色に、ポリエチレン袋が散らばったすさんだ街で無気力にペレットを置いて回る表題曲「Cowards」も奇妙な夢の世界そのもので、特に好きな曲だ。
音楽的な印象としては、電子音やノイズもあるが、それよりも管弦楽やハープシコードなど伝統的でオーガニックな楽器が織りなす詩的なサウンドが目立っており、そこにビターなコードワークとゲストの女性ヴォーカルの幻想的なコーラスが相まって、眼前に荒涼とした自然の風景や荒廃した街並みを浮かび上がらせる。シカゴ音響(スリル・ジョッキーとかドラッグ・シティの作品、またはそれらに影響を受けたグラスゴーのバンドなど)やスロウコア、またはポストロックの影響を強く感じる。前作は00年代マナーの輪郭のしっかりしたオルタナティブ・ロックという印象だったが、個人的にはこれぐらい抽象的で音世界だけがもの言うような作風が好みである。

さらにこのアルバムは「Evil(悪)」について描かれた作品であることが、公式に発表されている。このコンセプトがさらに「奇妙な夢」感を深めている。先行シングルである「Crispy Skin」では人肉食が当たり前になった世界を描くディストピア小説『Tender Is The Flesh』(未邦訳)を題材にしているようだし、続くシングル「Building 650」は、猟奇殺人犯と行動を共にする奇妙な3日間を描いた村上龍のサイコホラー『イン ザ・ミソスープ』の筋書きをなぞったような歌詞となっている。この冒頭の2曲に代表されるように、『Cowards』の歌詞では、善と悪の境目が曖昧になった世界が提示されているが、この善と悪の境目が無いという状態は、実は私たちがしばしば夢で体験する世界である。それこそ殺人犯になって警察に追われる夢を見た覚えがある。その夢には復讐や目的などの殺人の正当な理由はなく、朧気に「人を殺すのは悪いことである」という後ろめたさと、警察に追われている不安感があるだけで、目が覚めている時の殺人に対する強い抵抗感や嫌悪感は希薄である。そもそも『イン ザ・ミソスープ』も、仕事で知り合ったアメリカ人が猟奇殺人犯で、行動を共にする中で自分も殺されるのではないか、警察に通報したほうがいいのではないかと、ストックホルム・シンドローム的な犯人への恐怖と共感がないまぜになった葛藤に陥る、夢でありそうな設定の物語だった。
生物は暴力や同種殺しをしばしば行うもので、人間もご多分に漏れない。それを野放しにすると人間の安全な社会が成り立たないので、道徳や法律といった鎖のようなもので野蛮さを躾けており、つまりはそれが「善」と言える。そしてその鎖は、戦争や欲望や憎悪といった要因で容易に外されてしまうが、夢の世界ではもっと端的に、理由なく道徳や倫理感が除去された世界が現出する。
このアルバムでは、自分も悪だ、と歌うくだりが出てくるが、すでに私たちは何らかの悪に加担している状態であり、その設定こそがSquidが表現したかった部分だろう。それがこの美しく詩的なサウンドと合わさった時に、まるで現実によく似た奇妙な夢の世界、のように感じ、そしてそれは皮肉にも、夢と区別できないようなリアリティの無い現実が広がっている現代社会の危うさを表しているようにも思える。さらにいえば、そこに後ろめたさと同時にやすらぎや憧憬のようなものを感じるのは、本来の人間の野蛮な悪――文明社会に躾けられていない本来人間が持っていた野生の世界に、本能的に懐かしさを感じてしまうからなのかもしれない。そこには特有の苦い甘さが存在しており、これが心地よくも不穏な余韻を残す。人間が負った業の深さを思わずにはいられない、素晴らしい作品だと思う。

評価:★★★★☆ 9/10