
ブラック・ミュージックはとても身近な場所にあったのに、今まであまりハマることなく過ごしてきた。
もともとジャズのコード感やそこから生み出されるメロディ、そして自由なリズムが好きだった。
昨今のドリームポップやサイケポップが好きなのも、ソウル、ファンク、ジャズを取り入れているところに面白みを感じていた。人生で最初に買った洋楽はJamiroquaiだったし、直後にハマったのもCloudberry Jamで、両方ともジャズ、ファンク、ソウルをバックボーンにしたバンドだった。昨今の再評価ブームになる前からシティポップにハマっていたのも似たような理由だ。
自分の音楽遍歴には常にブラック・ミュージックの影響が潜んでいたはずなのだが、単発的にジミヘンやハービー・ハンコック、Parliamentなどの名盤を聴くくらいで、体系的にブラック・ミュージックの世界、特に巨大なジャンルであるR&Bやソウルと称されるものに足を踏み入ることはなかった。
まったくひょんなことからであるが、昨年XGにハマり、この良さを語りたいと思ったのだが、どのような観点で論評すれば良いのか分からず、困ってしまった。K-POPのことを知らないのはまあいいとしても、彼女たちが音楽的に影響を受けているR&Bがそもそも分からない。R&Bとはいうけど、60年代のR&Bと現代のR&Bって全く別物のように聞こえるし、一緒に語られるソウルとは何が違うのかもわからない。加えてヒップホップやラップにも疎い。結局、ポップミュージックという観点からレビューを書いたのだが、ここに至ってようやくブラック・ミュージックへの無理解を痛感し、歴史を大元からしっかり学ぶべきだと思うに至ったのである。
しかし、黒人音楽の世界はあまりに広大で、どこから手をつけて良いのかわからず、ここでもやはり途方に暮れてしまった。代表作の数も、ジャンルの数も、そのジャンルの一つ一つに属するミュージシャンの数も、ロックと同規模かそれ以上に多岐に渡っていたからだ。
そんな折にピーター・バラカン氏がハービー・ハンコックのことを書いているネット記事に辿り着き、氏が本書『魂(ソウル)のゆくえ』で、ソウルミュージックを中心として、戦前のゴスペルから現在に続くヒップホップまで、体系的に黒人音楽を紹介していることを知り、即購入した次第である。
本書では、戦前のゴスペルの発祥から始まり、それがポップミュージック、R&B、ソウル、ファンク、ヒップホップへと発展していく流れが大まかに解説されている。同時にその背景にある人種差別や貧困、度重なる世界戦争など、当時の社会状況や黒人の生活環境も描かれており、アメリカの黒人たちからどのようにして音楽が生み出されてきたのかがよく分かる。そしてそれらがいかに商業主義に取り込まれ、魂(ソウル)を失っていったかまで追っていく。
そんな大筋のなかで、やはり本書の最大の魅力は、バラカン氏の親しみやすい語り口と共に紹介される、448曲という膨大なSpotifyのプレイリストである。自分としては初期のゴスペルやR&Bに関してはまだあまりハマれそうにないのだが、都市型の音楽であるモータウンあたりから始まる、甘い雰囲気のあるポップなソウル(バラカン氏はあまり好みではないようだが)には惹きつけられるものが多かった。つまり現在のロックやポップに影響を与えているものといえるが、たとえばフィリーソウルだったり、いわゆるクワイエットストーム系のソフトでメロウなムードを持つアーティストだったり、そのあたりが特に気になった。
マーヴィン・ゲイの『What’s Going On』などは元々好きだったが、スティーヴィー・ワンダーなんかはほとんど聴いたことが無かったので、プレイリストを聴いて驚いた。自分の世代だと缶コーヒーCMのFireおじさん、という印象しかなく、単に歌の上手い有名なポップ歌手なのだろうくらいにしか認識していなかったのだが、70年代にアーティスティックな名盤を連発していた極めて影響力のあるミュージシャンとは認識していなかった。また全く知らなかったGil Scott-Heronの「The Revolustion WIll Not Be Televised」のラップ登場前のポエトリーリーディングもカッコ良すぎてビビった。
新版は90年代以降のブラック・ミュージックについても増補されているので、ラップがどのように生まれ、どのように変質していったかもよく分かる内容だ。自分の世代のラップはいわゆるギャングスタ・ラップで、はっきりいって多くの日本人にとってリアリティに欠ける世界観であり、それゆえにラップやヒップホップ全般にこれまであまり興味を惹かれなかったのだが、初期のラップやヒップホップは日本でもスチャダラパーや初期の電気グルーヴがやっていたようなことで、かつゴスペル由来であったコール・アンド・レスポンスなど過去のブラック・ミュージックとのつながりも確認でき、興味深かった。ディアンジェロとかも名前は知っていたけどこんなオシャレな音楽性だとは知らず、アー写やアルバムのアートワークがいかにもイカちい感じなので周りのギャングスタ系の人たちと同列視して、試聴する機会を逸していたのである。
あとそれとは別に、本書を通して一番衝撃を受けたのがScreamin’ Jay Hawkinsの「I Put A Spell On You」である。本書では初期R&Bのリストのなかの1曲として「この世のものとは思えない」とさらっと紹介されているだけなのだが、この悪夢的な非現実感はもはやサイケだし、パフォーマンスとしては現在のLady Gagaまで通ずる圧倒的なバカらしさがある。その極みが「Constipation Blues」(便秘ブルース)で、お通じの苦悩を臨場感たっぷりに歌い上げるこの自由さに、私はすっかり打ちのめされてしまった。
他にもめちゃくちゃカッコいいもの、好きなもの、「あっこれがあれの元ネタか!」的な驚きも多数で、ブラック・ミュージック好きのみならず、音楽好きのための一般教養書ともいえる内容である。それでもブルーズやジャズ、初期ロックンロールに関してはあまり触れられていないので、あらためてアメリカのブラック・ミュージック界の広さに驚くばかりである。
最後に、個人的にとても共感したのが、バラカン氏による商業主義的な音楽への批判である。それは「ディスコ・ブームとソウルの死」の章において、「いったんディスコというものが一人歩きすると、そこで受けるようなレコードを作ろうとする人間が出て来ます。」「BPM~~が120前後だとちょうど心臓の鼓動に近くて気持ちいいとされたので、だれもがこのテンポをもとに決めたフォーマットで音楽を作りはじめました」「ディスコがブームになると、ソウルのほうがディスコに色目を使いすぎてしまったのです」と、このようにソウルミュージックが廃れてしまった原因を考察。そしてこの中で生まれてきたSilver Conventionの「Fly, Robin, Fly」を筆頭としたディスコのヒット曲をバラカン氏は「グルーヴの無いディスコビート」「完全な消費物としてのポピュラー音楽」「一本調子のビートは耐えられませんでした」と批判しているのである。
私もこれまでの音楽遍歴の中で、このような光景を何度も見たことがある。ミュージシャンの内から湧き出る情熱をそのまま形にし、それが聴衆と共有され共に盛り上がる音楽は素晴らしいものだが、そこから特定の成功パターンを抽出し、利益の最大化・効率化の名のもとに、売れるように機能的、作為的に作られた商売目当ての音楽にはソウルがこもっていない。いつの時代も「マジョリティ」というのはもっとも同質性が強く多様性の無い存在で、ゆえにビジネスの側から見るとパターン化されていて扱いやすいお客さんである。彼らに売るためだけに作られた音楽が、単調で飽きやすいものになるのは当然だ。結局は自分がどう生きて、その投影として何を愛すか、というだけの話なので、売れる売れないは本来どうでもいいことなのだが(ゆえに商業主義的な音楽を偏愛する趣味趣向があっても良いとも思うが)、「売れているものが一番価値があるんだ!」といって大量生産・大量消費の使い捨て製品のように音楽を扱うのは、文化を毀損するもったいない姿勢であると常々思う。
そして、いつの時代にも、そうした商業主義的な流れに反抗して自分たちの作りたいもの、世の中に存在していない新しいものを作ることに情熱を燃やすミュージシャンはいる。彼らの活動が陽の目を見たときには、いつかまた商業主義に取り込まれてしまうというサイクルではあるのだが、それゆえ新しい音楽を作る人たちがいなくなれば、商業音楽すらなくなってしまうだろう。得てしてセールスや知名度に恵まれず活動が苦しくなる偉大な音楽の作り手たちを今後も陰ながら応援していければと、改めて思った次第だ。