
『qp』の名曲「テリフリアメ」で心を掴まれて以来、気持ちを鎮めたい時などに愛聴していたのだが、知らぬ間にRate Your Musicなどで海外リスナーに発見され、海外にまで活動が及び、先日はKEXPにも出演していたのは驚いたし、嬉しかった。この手のミュージシャンは日本では過小評価されがちで知らない間に音楽を辞めてしまうことも多いし、日本のマーケットに紐づいているとどうしたって「歌謡曲」「J-POP」のくびきから逃れられない。海外に知られることで、表現の枷をとっぱらい、継続的に自由な活動が出来るのではないか、と期待したからだ。実際、それまでのフォーク的な世界観から大きく表現の幅を広げた『アダンの風』も良かったし、その後リリースされた「アンディーヴと眠って」などのシングル曲も感動した。次のアルバムでどのような歌と音が届けられるのか、非常に楽しみにしていたところに届いた本作『Luminescent Creatures』である。
本作は、前作に色濃かったLily chou-chou的な自然と溶け合ういにしえの琉球的な世界観や、映画を見ているような架空のサントラ感は減退し、曲それぞれがリスナーにより深く浸透していくような表現に変化している。そこで描かれる情景は、例えばジブリアニメ的な、風や森、そして水のなかの世界。波の煌めきやさざめき、風に揺れる草花、そこに見え隠れする小さな生き物や精霊たち。自然と身体の共鳴、生命の循環、その大きな業のような流れの中に抱かれている私たちを含めた「自然」を大きく、そして美しくとらえた世界観であるように感じた。
音の面でいえば、先行シングルとなる「Luciferine」で、谷山浩子や新居昭乃といった日本の幻想的シンガーソングライターの系譜に連なるような、ストリングスやピアノ、コーラスなどに取り囲まれた視界が開けるような抒情的なサウンドを披露しており、アルバムも全体的に華やかな作りになるのではと思わせたが、彼女の歌に寄り添う楽器の種類こそ増えてはいるものの、全体的にはいつにも増してひそやかで神秘的な空気感が張りつめている。その静けさの余白の中に、青葉市子の妖精のような歌声と美しい歌詞がふわりと浮かぶような作りとなっている。特に、ところどころで使われている「天つ日」や「あわい」といった、日本の歌人たちに磨き上げられた美しい大和言葉の響きを、幻想的な西洋旋律に掛け合わせて至上の美しさに高めているところが感動的で、このあたりは冒頭に書いたような、日本語ネイティブでないと感じられない尊い部分である。
本作『Luminescent Creatures』は、幻想的な幕開けとなる「COLORATURA」から、自然と人、私とあなた、体の外と内、あらゆる境界を溶かすかのような歌と音を、極上の陶酔感とともに届けてくれる。波照間島の灯台の位置情報がタイトルとなっている「24° 3′ 27.0″ N, 123° 47′ 7.5″ E」では波照間島で歌い継がれている民謡を披露、続く可愛らしい絵本のような「mazamun」も波照間島の言葉で、このあたりは『アダンの風』に引き続き沖縄の離島の幻想が描かれているが、印象派のようにうっとりするピアノと共に歌われる「tower」以降はより普遍的な世界が展開していく。私が特に好きなのが、輝いて消えていく生命が負う、光と闇の業の循環を描いているように感じる「FLAG」で、悲しさと美しさが同時に迫ってくるこの曲を聴くたびに涙が出てしまう。それだけではなく、生命の力強さを感じさせる「Luciferine」も感動的だし、輪廻の瞬間を描いているような、はたまた現世と幽世の合の合間で見える心象風景か、うまく説明できない部分の琴線に触れてくる「SONAR」なども、青葉市子の繊細な息遣いと共に、心が締め付けられるような感情が湧きおこる瞬間がたくさんある。聴き終えた後、心がしんと静まる感じがする。
とにかく、ふいにわけもなく泣けてくるのは、歌声とメロディが美し過ぎるのは当然として、自分が生まれる前の魂的な懐かしさに触れてくるからだろうか。青葉市子が波照間島などでのフィールドワークを通して得た、自然と長く共生してきた人々の世界観、それは人間の魂の記憶のようなもので、その幽玄な力の流れを歌と音にしみこませているように感じる。なんだか大げさなことを書きすぎて、後から読んで恥ずかしくなりそうな気がしてきたが、彼女の歌はいつも、簡単に言語化できないたぐいの感情を湧き起こしてくるので、こういった感想になるのも致し方ない。それはさておき、とにかく美しいアルバムで、石橋英子の新譜同様、聴き終わった後すぐに他の作品が聴けない、深い感動を与えてくれる作品だ。もっと世界で評価されて欲しい。