Just Mustard – WE WERE JUST HERE(2025)

新譜
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 アイルランド北東部の街・ダンドーク出身のシューゲイズ~ノイズロックバンド、Just Mustardの3rdアルバム。
 シューゲイズバンドと紹介されることの多いJust Mustardではあるが、Cranesのアリソン・ショーを彷彿とさせるケイティ・ボールの歌声こそシューゲ的ではあるものの、本質的にはノイズロックとしてのインダストリアルなギターノイズの実験性・暴力性や、ゴスまたはポストパンクの呪術的でダウナーな没入感・陶酔感に面白みがある、どちらかというと、同じくアイルランドのGilla BandやFontaine D.C.に近しいサウンドのバンドである。
 しかしながら本作ではシューゲ要素も十分強まっており、沈鬱かつモノクロ寄りの印象だったメロディが、暗い色調ながらも少し華やかになり、そこに人力ダンスミュージック的なループ主体のトランシーなリズムが加わることで、アッパーな疾走感や儚げな浮遊感を獲得。冒頭の「POLLYANNA」からもう非常に元気で、空間系のエフェクトで引き伸ばされたディストーションギターが悲鳴を上げる2曲目「ENDLESS DEATHLESS」でもさらに速度を上げていく。不安を感じさせるような黒雲の風景がよく似合う「SILVER」ではメランコリックな浮遊感が心地よく、ここまで、かつて「Boo」や「Still」などでアルバムの冒頭から呪術的な暗黒絵巻(これがまたカッコイイのだが)を繰り広げていたバンドとは思えぬ軽快さを披露。前半を締めくくる先行シングルの「WE WERE JUST HERE」に至っては、バンド史上初じゃないかというくらいメジャー進行の明るいコードワークを聴かせており、しかもそこに機械の電波音のようなトレモロサウンドから噴き上がる轟音ノイズ、さらに強烈なタテノリのドラムまで合わせて最高に高揚感を煽ってくる。
 後半は特にシューゲイズ要素が濃くなり、以前ならひたすら重苦しくなるサウンドに仕上げていそうな「SOMEWHERE」も、ギターノイズとウィスパーヴォーカルが混然一体となった霧のようなシューゲイズ・サウンドを展開。続く「DANDELION」も、ケイティの切ない歌声にヴァイオリンのように引き伸ばされたディストーションギターが寄り添う陶酔感のあるシューゲ曲。そこから再び速度を上げる「THAT I MIGHT NOT SEE」で高揚感を高め、MBVの「No More Sorry」風のアタック音を消したリヴァーブノイズが印象的な「THE STEPS」を挟んで、ついに本来の持ち味である終末感を漂わす不穏なムードの「OUT OF HEAVEN」で、最後はJust Mustardらしく幕を閉じる。

 非常にすぐれた作品だと思う一方で、本作はちょっとMIXに気になる点がある。もともと彼らはほぼセルフ・プロデュースの体制でレコーディングを敢行していて、MIXはギタリスト兼ヴォーカルのデイヴィッド・ヌーナンが担当していた。特に1stで顕著だったアルビニ風のMIX、ドラムセットごと空気振動を捉えたような密室感のある生々しい打撃音や、金属質のラフなギターやベースの音の刺激、そしてそれらの武骨なサウンドに取り囲まれる少女のように透き通ったヴォーカル、そのピーキーなコントラストが生み出す危うさや不穏さがカッコよかったのである。それに比べると本作のMIXは少し中庸というか、ノイズのダイナミクスが少なく、ドラムの音が少し引っ込んで聴こえる感じがちょっと物足りない。本作は曲の方向性も踏まえてか、人気エンジニアであるデイヴィッド・レンチにMIXを依頼した模様で、それもあってか均整の取れたお行儀のよいサウンドになっているようである。まあこのあたりはピーキーな音が好きな私の主観の極みで、客観的に聴いてみれば、シューゲイズ的な浮遊感や儚さはむしろ強調されているし、開かれた聴きやすいサウンドではあると思う。あと、そもそもダイナミクス的な部分は音量を最大にすればだいぶ気にならなくなる。曲自体非常によく、アルバムの構成も素晴らしいので、そんなMIXにこだわらなくても、と思うのだが、割と音質フェチなところがあるので、自分の中ではけっこう評価に関わってくるのである。

 と色々とマニアックなコダワリが多くて恐縮であるが、それゆえ本作はマニアックではない人にも非常にオススメな作品だ。彼らの音楽は割とわかりづらい部類だと思うが、本作がその入り口になってくれるはずである。

評価:★★★☆+ 7.5/10

MVに日本の風景が混ざっているんですよねぇ……。ぜひとも単独でタップリこの耳障りなノイズギターに溺れたい。今年初めの日本のフェス出演は演奏時間が短すぎて、その割にチケット代や日程、ほか出演バンド等の条件も悪く、断念してしまった。