
もちろんSquidの音楽性をご存じならば、ドリームポップのようなものではないことはすぐにお判りいただけると思う。当然ディズニーランドのようなファンタジックできらびやかな夢ではない。どちらかといえば悪夢だが、一般的に悪夢と言って想像するホラー映画のような世界でもない。つげ義春の『ねじ式』のような「変な夢」に近い世界といった方が良いかもしれないが、あそこまで強烈にシュールレアリスムでもない。そこには青い空があり、街があり、自然があり、私たちの平凡な生活があるのだが、知っているのに知らない人や場所、なぜかものすごく不安になることがあるがその理由を忘れているもどかしい状態。そんな現実によく似てはいるが何かが決定的に違っている奇妙な夢の世界という意味である。
アルバム冒頭の「Crispy Skin」から、奇妙な夢から目が覚めたと思ったら、そこもまた現実によく似た夢の中、といった感じの、悪夢と現実の境目が溶けたリアリティの無いリアル、無限回廊の漂流感をよく表した曲になっている。不気味なサウンドエフェクトと美しい楽器の音色が交錯しながら、朝の目覚めのような気怠い爽やかさを伴った浮遊感が心地よい。満員電車から見上げる爽やかな朝の光と青空を、自分の憂鬱な心とは連関しない噓っぽいものとして呆然と眺めつつ「これはまだ夢の中なのでは?」と疑う遊離感にもよく似ている。
「クロマニヨン人は直方体人間」というシュールな歌い出しが最高な「Cro-Magnon Man」も非常に好きな曲で、極悪なベースと位相のズレたようなノイズがのたうちまわり、バグでチラつくデジタル映像のような奇妙なギターや電子音のなか、これまた調子はずれの鼻歌のようなメロディが悪夢的で、気持ち悪さと気持ちよさが同居した音世界である。神秘的なギターのアルペジオで始まる表題曲「Cowards」も素晴らしく、しっとりしたアコギとブラスの音色のなか、ポリエチレン袋が散らばっている荒んだ街で、無気力にペレットを置いて回る光景は、奇妙な夢の世界そのもので、特に好きな曲だ。
また、このアルバムは「Evil(悪)」について描いた作品である、ということが公式に発表されている。このコンセプトがさらに「奇妙な夢」感を深めている。先行シングルである「Crispy Skin」では、人肉食が当たり前になった世界を描くディストピア小説『Tender Is The Flesh』(未邦訳)を題材にしているようだし、続くシングル「Building 650」は、猟奇殺人犯と行動を共にする奇妙な3日間を描いた村上龍のサイコホラー『イン ザ・ミソスープ』の筋書きをなぞったような歌詞となっている。
この冒頭の2曲に代表されるように、『Cowards』の歌詞では、善と悪の境目が曖昧になった世界が提示されている。この「善と悪の境目が無い」という状態は、私たちが実際に夢のなかで体験する世界でもある。昔よく殺人犯になって警察に追われる夢を見ていたのだが、その夢には復讐や目的などの殺人の正当な理由はなく、朧気に「人を殺すのは悪いことである」という後ろめたさと、警察に追われている不安感があるだけで、目が覚めている時の殺人に対する強い抵抗感や嫌悪感は希薄である。『イン ザ・ミソスープ』も、仕事で知り合ったアメリカ人が猟奇殺人犯で、行動を共にする中で自分も殺されるのではないか、警察に通報したほうがいいのではないかと、ストックホルム・シンドローム的な犯人への恐怖と共感がないまぜになった葛藤に陥る、夢でありそうな設定の物語だった。
生物というものは暴力や殺しといった野蛮な行為をしばしば行うもので、人間は特にその傾向が強い。それを野放しにすると安全な社会が成り立たないので、道徳や倫理、法律といった鎖のようなもので野蛮さを躾けている。そしてその鎖は、戦争や欲望や憎悪といった要因で容易に外されてしまうし、夢の世界ではもっと端的に、理由なく道徳や倫理感が除去された世界があらわれる。「悪」を縛る鎖は、実はとても危うい。
このアルバムでは、「自分も悪だ」と歌うくだりが出てくる。すでに私たちは何らかの悪に加担している状態だが、それが何なのかはよく理解していない。このもやもやした後ろめたさのようなもの、それがこの美しく詩的なサウンドと合わさった時に、現実によく似た奇妙な夢の世界、のように感じ、そしてそれは皮肉にも、夢と区別できないようなリアリティの無いディストピア的な現実、つまりこの現代社会の危うさを表しているようにも思える。
さらにいえば、このアルバムからは、やすらぎや憧憬のようなものも感じとれてしまう。本来の人間の野蛮な悪――文明社会に躾けられていない本来人間が持っていた野生の世界に、本能的に懐かしさを感じてしまうからなのかもしれない。そこには特有の苦い甘さが存在しており、これが心地よくも不穏な余韻を残す。
人間が負った業の深さを思わずにはいられない、素晴らしい作品だと思う。